虎久が吼える

違和感や危機感を感じる出来事に、虎久が吼えます

いわゆる「森友・加計問題」とは何だったのか?

 

 

 今年(平成29年)の2月から、閉会中審査を開催するなど多くの国費を投じて国会で審議され、ワイドショーを賑わせ続けた、いわゆる「森友・加計問題」とは何だったのかという問いに、的確に答えている(と私は思っている)本が出版されました。

 小川榮太郎氏の筆による「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」(飛鳥新社)がそれです。

書名が内容を端的に表していますが、朝日新聞の記事はもとよりテレビや雑誌での取り上げ方、国会等の議事録などを丹念に分析して、書名のような結論を導いています。

 この本を読むことで、マスコミ報道に漠とした違和感を感じていた方は目の前の霧が晴れていく快さを、また、これまで特に何も感じていなかった方は新たな地平に立った視界の広がりを感じることができるでしょう。ぜひお読みください。

 小川氏は、この報道犯罪について、「戦後最大の国民への背信行為」であり、「日本の主権者たる国民であり、日本の民主主義そのもの」を“否定”したと指弾しています。

 しかし、私は、小川氏の表現は優しすぎると思っています。本来であれば政治・政局を伝えるべきメディアが、あろうことか自らがメインプレーヤーになるという越えてはならぬ一線を、朝日新聞は越えたと思うからです。

 いわゆる「加計問題」は、「総理のご意向」と記された文書のスクープから火が着きましたが、その文書を朝日新聞へ持ち込んだ人物はいったい誰なのでしょうか? 小川氏は、朝日新聞のスクープ記事には入手先の記述がなく『文科省関係者』一人しか確認者として登場していないことから、一人の証言で記事にする決断ができるほどの人物、つまり文科省事務次官の前川氏が文書を単独で持ち込み文書の信憑性を保証したと推測しています。

 私も、小川氏が示す理由のほかに、国会の閉会中審査で「総理のご意向」文書の情報元であることを前川氏が明確に否定しなかったことからも、前川氏自身または極めて近い者が文書を提供したものと考えています。

 そうだとするならば、文書提供者とその背後関係を知っていなければおかしい朝日新聞が、その後の報道で、前川証言をあたかも第三者の発言であるかのように報じたということになります。このようなことが認められるとすれば、たとえ信憑性の低い文書であっても、第三者を装って自身が都合良く証言し、メディアがその主張を大きく伝えることで、あたかも信憑性の高い文書であるかのような印象を与えることも可能となります。

 ちなみに、前川氏が文書提供者であるということは、あくまでも推測にすぎません。しかし、総理の意向があったことをその文書自体が否定する「総理の指示に見えるのではないか」との記載部分を影で隠して報道したことや、閉会中審査において前川氏は総理の意向なるものを自身の思いや印象以外では証言できなかったことなど多くの事実が、この推測を補強するものと思います。

 いずれにせよ、メディアと政治家、それにこれらと意を通じた胸に一物を持つ告発者もどきが結託し、メディアが一方に偏った報道をすることでいとも簡単に大きな政局を作り出すことができることが明らかになったのが加計問題であると思います。

 このように考えたとき、「森友・加計事件」は、“報道”という名のもとで、自らの主張に合致するように事実を捻じ曲げ、一方的な印象づけを繰り返し、国民から「知る権利」を奪い、世論をミスリードすることで政権の転覆を図ろうとした犯罪=報道テロといってもよいのではないでしょうか。

 朝日新聞が行ったことは、民主主義を否定し、民主主義のインフラたることを自ら放棄したといった生やさしいものではないと(私は)思います。民主主義の根幹=国民一人一人が自身の意見・考えを持つための前提として必要となる“事実を知る機会・権利”を破壊、少なくとも破壊を企図したか、または破壊しても構わないとの思いによるものが「森友・加計事件」のように(私には)見えます。

 このような民主主義の破壊者には、即刻退場いただきたいと強く願っています。